覚醒

いつ目が覚めたかわからない。予定では手術の翌日の昼覚醒。1番初めの記憶は蛍 光灯の光が眩しく、「何で、何で生きてしまったんだろう」という強い思い。見え ているけど何かが違う。聞こえているけど以前と違う。呼吸が途切れ途切れで苦しい。その上、「今、いる所は?」「名前」「生年月日」「今日の日付」何度も聞か れる。脳の手術を受けているので聞かれる意味は分かっている。 分かっているけれど息するだけでも辛く、もう充分生きたし全てを終わらせたかっ た。

複視

先生が2人に見えた。これが複視というものなのか。気持ちが悪い。 ICUにも消灯時間はあるけれどベッド周りが薄暗くなる程度。 明るさが目に刺さり痛い。 先生や治療に関わってくれた方々に感謝の思いがある一方で、 この先無理して生きることもないという気持ちの方が大きく、 明日どころか1秒先もいらない。白血病で知り合い亡くなった人たちがもし、これ までの生き様を見ていてくれていたならば「もういいよね」ときっと迎えに来てく れる。迎えに来てよと願う。

誤嚥

呼吸が苦しいのは誤嚥。誤嚥、誤嚥性肺炎とは高齢者がなるものだけかと思ってい た。唾液が喉を流れる度に咳き込む。 骨髄移植を受け無菌室で過ごしいる時、口内炎が酷くて痛みで唾液を飲事ができ ず、ティッシュを口の中に詰めて唾液が流れないようにした。同じことをした。 ティッシュは息子が用意してくれた物で、ふわっとは柔らかくて質が良い。口に詰 め込むのであればこんなに質の良いティッシュはもったいないなぁとこんな状況で もそんな事を思う。

「気管切開しよう。呼吸が楽になるから」とパンダ先生の声。 また手術?喉を切り、そこから管が伸びる自分の姿を想像し、 切開するくらいになら今のままでいい。首を横に振った。 咳でむせて体がままならない。横向くと何かの管に引っ張られる。 少し身体を起こし「誰か助けて」とつぶやき程度の言葉が出た。気管切開を断り、 このままでいいと決めた自分に助けてくれる「誰か」なんていないと分かっている。

息子たち

「息子さんきましたよ」管に繋がれているため前開きの衣類とオムツが必要と連絡 して持ってきてもらったとのこと。看護師さんから言われて少し遠くに目をやると 長男(B)の姿。なんとなくぼんやり少し悲しそうな顔をしているいるように見え た。

その時はなぜ病院から近い次男ではなく、わざわざ距離のある長男が来たのかなど 事態に応じて考えるということができなかった。 後で家族3人のグループLINEを読み返して知った事は、 次男は体調を崩していた。ある日突然リモートワークと環境が変わり、と、同時に 母親の病院の付き添いが重なり、脳の画像を見せられ、手術の後遺症を聞かされ、 自分の最近の不調はもしかしたら新型コロナウィルスではと、きっと相当なストレ スを抱えていた。

手術当日は私が手術室へ運ばれた後、次男は帰宅し、終わりまで長男ひとりで待機。手術は朝の10時開始、終わったのは夜中の2時。 ホテルに着いたのは3時。16時間の手術だった。

モモと時間泥棒

うつらうつらしていたらOh Oh Ohと頭の中で声が聴こえる。
Nakamura Emi 「YAMABIKO」の最後のメロディーだけがループしている。 歌詞は全く思い出せない。ずーっとOh Oh Oh。

Nakamura Emiは友達とも友人ともカテゴリーがない関係。 それに合わせて「昔、変な園児がいてお母さんに本を読んでもらって」とごちゃご ちゃな歌が流れてきた。「いつかお母さんになれたら」の歌詞間違えた版。 寝る前にお母ちゃんが優しい声で絵本を読み子どもは色々な世界に思いを馳せなが ら眠りにつく。という歌の出だし。 嘘だ。自分の時間が欲しくて早く寝かしつけたくて、早口で読んでおしまいにし た。

これ読んでとミシャエル エンデの「モモ」を持ってきた時は難しいからと 言ってもこれがいいと。読み進めていくと子どもなりに見たこともない円形劇場など想像していることが分かる。それでもさっさと読んでまた明日。時間泥棒に時間 を取られているのは自分だと自責の念に駆られながら、キッチンでひとりコーヒー を飲んでごまかしていた。

急ぎ過ぎた子育てだった。もう少しゆっくり絵本読み、もう少し長く子どもと向き合い、もう少し余裕も持つことが出来たらと今回入院して初め泣いた。 そして今は管だらけで息子が買って持って来たパジャマを着ている。 いつまで経っても無様で不甲斐ない母親でいる。



ICUの看護師さんたち

ICUは常に明るく昼夜の区別がつかない。ベッド周りは9時消灯。 朝6時ごろベット周りの電気がつく。「今朝、都心でも雪積もりましたよ」と看護師さんの言葉で、また次の日が来た事 と外の世界があることを知る。「今日の日付けは」と聞かれて、機械的に答えるだ けで季節の感覚はない。間違えると正しい日にちを教えてもらい、次から間違えな いように忘れないように復唱する。もう少しで4月。

ここ2日、同じ看護師さんにオムツを取り替えてもらっている。 2人の子どもを保育園に預けてから出勤してくるのでこの時刻になると。 「今日は下の子が泣いてぐずって大変でした」と聞き「親が行ってしまえば諦めて 泣き止みますよ。」とそんな言葉がでた。「そうらしいです!保育士さんが同じこ と言っていました。母親の姿が見えなくなるとケロッとしてお兄ちゃんと遊んでいるって!」

保育園では主に地域で子育てをしている母親、園利用者の保護者、子どもを遊ばせながら話に耳を傾ける、そんな得難い仕事をさせてもらっていた。 一方で自分の対応に問題がなかったのかという気持ちを自宅まで持ち帰る毎日。 そしてあの親子はどうしているのかとこんな所で思い出す。

「背中ほぐしましょう」と看護師さんが背中をマッサージしてくれる。「学生時代 サッカーをしていたのでスポーツトレーナーになりたかったんです。ただその学校 が授業料が高くて、たまたま都立の看護学校が受かったから学費も安いし親に負担 かけたくないので看護師になったんです。」と話してくれて、なんて親思いな看護師さんなんだろうと背中がほぐれ心も身体も温まる。

こちらから聞いたわけではなく「自分は長崎出身なんです。」と看護師さんが処置 をしながら話してくれた。 友人が福山雅治のコンサートに毎年行っていると話すと「それなら稲佐山おすすめ です。いい所なのでご友人とぜひ」と。 高校の修学旅行は長崎だったけれど白血病で入院していたので行けなかった。 退院したら長崎行こうかなと思った。

術後何日か過ぎ、身動きしない方が身体は楽だけど、このような会話のやりとりから日常へ戻っていくのだと感じる。

プリンの約束

「しか先生まだいたんですか!」「もう行きます。」と足元でしか先生と看護師さ んの声がした。 「ハガさん最後まで診てあげられなくてごめんね。」としか先生が挨拶に来られ た。

昨日プリンが食べたいと伝えてあったのでお別れにプリンを持ってきてくれる のかと思ったらそれはなかったので「先生が偉くなったらプリン送って」と握手を した。「次の医師は僕の同期で癒し系だから安心して」と最後までしか先生は優しい言葉 をかけてくれた。