第36話 想像が追いつかなくて

主治医 まる先生
みお先生
ガラス越しに見た無菌室
想像が追いつかなくて
やーめよっと
ふりかえってみて

主治医となるまる先生の出会いはいいのもではなく、触診の後に丁寧すぎる手洗いの後ろ姿を眺めながら「この先生嫌だ~」と今日限りの付き合いになるよう願いは叶わず、、

それがこれからの長い長い紆余曲折にお付き合い頂くことになるとはこの時は思いもよりませんでした。

診察の後、柔らかな笑顔で無菌室を案内してくれるみち先生。今立っている1人通れるくらいの短い通路は面会室。通路の先はもうひとつ無菌室があり、この時は2部屋空き状態。

骨髄移植後そのガラスの向こう側で90日過ごすこと、極めつけが「これまでの治療の感覚で入院しないでね」の言葉。

「朗らかに言う内容じゃないよね!!」と心の声と格闘し「みち先生が主治医だったらよかったのに」の思いは無菌室見学で砕け散り「骨髄移植やーめよ」と自分の決意に晴々するのです。

(みち先生は「脳の中のシュークリーム」のライオン先生です)

第35話 退学するわ

違う違う腸じゃない
高すぎる
退学するわ
玉線譜
2本で80円
ふりかえってみて

腹巻のように帯状に腹部から背中を半周回る発疹が出て刺すような痛みの原因は過敏性腸症候群ではなく帯状疱疹でした。

治った頃は転院予定の病院で骨髄移植の説明を受けることになっていたことと、6日通学しただけで免疫が低下云々、、、今の時点では高校は無理だろうと自ら退学届を職員室に取りに行きます。両親や学校はさぞホッとしたことでしょう。

病気になってから車での移動はほとんど寝たまま。景色が空だけになり、電線が音符を書く五線譜に見える。骨髄移植の説明を聞きにいく途中起き上がると渋滞の国道、排気ガスまみれのツツジが咲いていました。

転院予定の病院はこれまでの大学病院とは雰囲気が違い、いくら休日といってもとても静かで人がウロウロしていない。

「予定」というのは、通学しながら治療が受けられないのであれば今までの病院で3ヶ月に1度の治療(嘘の話)を受けるつもりで決定権はあくまで自分!(告知受けていないので無駄にややこしいのです)それよりもヤクルトが2本で80円の自販機があり帰りヤクルト買ってもらおう〜と!自販機が1番印象に残りました。主治医となる医師に会うまでは、、、

第34話 すっかり高2

すっかり高2
6日目の夜
救急
夜勤でバッタリ
カツラも診断もゆれる
ふりかえってみて

制服のブレザーが重く、着て半日過ごすことが難しいということで自分のためだけに作られた

「カーディガン許可証」

歴史もなく、ちらほらヤンキーもいるこの高校で「許可証」の必要性を感じながら母に送迎してもらい新学期から登校。

外見も気にせず、この先治療を受けながら高校生活を過ごせると勝手に思っていましたが、実際は「骨髄移植で転院し退学するのでそれまで娘に夢を見させて下さい」と両親が頼んだ仮の高校2年生。

通学して6日、腹痛が起こり父と夜、救急外来へ。

偶然救急夜勤の担当日だったひろ先生と会い、これまでの状態などを説明してくれてとても安心しました。

その夜は帰宅し、翌日バリウム検査を受けた結果は「過敏性腸症候群」

医師から「退院したばかりで原因はストレス」と言われたとき「退院してイキイキしているよ」と心の中で呟き、診断にモヤモヤしながら帰宅。その翌日、本当の病気が身体に現れます。バリウムでわかる病気ではありませんでした。

第33話 夢をあきらめないで

夢をあきらめないで
見誤る
ドナー検査
モト
復学でいっぱい
ふりかえってみて

3月初旬退院。

退院の日、ありこちゃんと呼んでいた看護学生さんから、いい歌だからとカセットテープをもらい車中で聞いていたら、岡村孝子さんの「夢をあきらめないで」が流れてきました。

歌詞に触発されたのか「退院したことを報告するから高校に寄って」と運転中の母にお願いし、母を車に残し四つん這いで階段を昇り「退院しました!」と授業中の教室の扉を開けると、誰も声も出さない一瞬の空気に「この外見じゃドン引きするだろう」と教室に入ることなく扉を閉めました。

悲しいというより自分の行動を反省。

知らぬところで「骨髄移植」のためのドナー検査が行われ父、母、兄が検査したところ、兄が移植のドナーに決定し転院し骨髄移植を受けることを知ります。家族も骨髄移植というものがどういうことなのか理解しておらず、自分自身も待った無しの状況とは知らず「通学しながらなら受けてもいいよ」と余裕シャクシャク、4月の復学を心待ちにして過ごすのでした。