温厚な教授でお爺ちゃんと話している感覚でしたが、今、考えると70過ぎているはずはなく、もしかしたら今の自分と変わらない年齢だったのかも、、
薬の影響とは知らずに顔が丸くなったのは食欲が出て元気になった証拠と楽観的でいた時、髪の毛のことが気になりだす。
抗がん剤は受けてから2週間から3週間後に脱毛の症状が出始めます。
温厚な教授でお爺ちゃんと話している感覚でしたが、今、考えると70過ぎているはずはなく、もしかしたら今の自分と変わらない年齢だったのかも、、
薬の影響とは知らずに顔が丸くなったのは食欲が出て元気になった証拠と楽観的でいた時、髪の毛のことが気になりだす。
抗がん剤は受けてから2週間から3週間後に脱毛の症状が出始めます。
面会時間は15時から19時頃だったような。
週の大半は友人がお見舞いに来る状態。
友人が私にとって友人でない友人と一緒に来ると見舞いというより興味本意で来ているだけと思ってしまったり、どうせ帰りは駅でパフェでも食べて帰るんだろうなと少しモヤモヤ、、
その点、男子1人のパターンは見舞い目的以外ないのでとてもアッサリと分かりやすい。
父がなぜ面会時間外が許されていたのかは後で知った事。
「後、3ケ月で死ぬかもしれない娘に面会時間しか会えないなんておかしいだろう!」と医師か看護師か病院関係者か分かりませんが、そう怒鳴り散らし時間外面会が許されたそうです。
今でいうクレーマーですね。
隣のベッドにいたアキさんは祖母と同世代。
夜中の寝言の殆どは保育士を叱責。自分が怒られたと思って驚いて目を覚ますくらい大きな声!そして園児に対しての読み聞かせは寝言と思えないくらい完璧。
「私の葬儀は1000人は来るからわざわざ来なくていいからね。そのかわり落ち着いた頃、そのぬいぐるみ頂戴。園児が喜びそう。」と、いつも子どものことを考えているアキさん。
私の枕元は半月の入院でクマっぽいぬいぐるみが既に3つ。
寂しさを紛らわすためにと思ってくださったのかもしれないけれど、検査、入浴できないためベッド上での身体拭き、見舞い、体調の変化などで案外忙しくて、くれた人に悪いから置いてあるというのが本音。
20歳過ぎた頃、袋いっぱいに増えたぬいぐるみを持ってアキさんとの約束はちゃんと果たしました。
週に1度、午後の回診。
終わるまで自由に立ち歩くことはできず、その制限に不満あり。
「何科の医師になろうかな〜」という大勢の研修医に囲まれ「見せ物じゃないし!」という気持ちと、いつも身近な担当医(研修医)のひろ先生がよそよそしい。主治医のまさ先生が教授に説明している内容が自分の身体のことなのに全く理解できず、それも不満。
後でまさ先生に「教授に日本語で説明して」とお願いしたら「ドイツ語じゃないと説明できないの。」と。
ドイツ語というのは嘘か本当かは不明。
回診後、病室の方々から、教授回診は「白い巨塔」のいち部分と教えてもらいました。