第40話 願い叶って

元気な挨拶も時には
今は早く
本日も騒々しく
うらやましくないから
願い叶って
ふりかえってみて

日の出とともにカーテンを全開に開けて「おはようー!」と病室を仕切るおばちゃん。家が銭湯らしく番台で培ったコミュニケーションだろうと諦め、あれだけ怖かった無菌室に移りたくて仕方なかった。

おばちゃんが退院し、窓側に移ったら男子バレーボールの選手と会えるとか、この話題でいつも騒いでいる子。興味ない上、抗がん剤治療が始まっていたのか調子が良くない。そしてガタガタと体調が悪くなり、、

「前の病院で受けた治療程度の感覚で入院しないでね」

という、みち先生の言葉通り、3月までの入院生活のように、同室の患者さんとふれあう余裕はなく面会も両親だけでした。

第39話 せっかくだから

191	せっかくなので
192	どうして
194	フラフラするから
194	フラフラするから
195	朝の儀式
ふりかえってみて

4月生まれの友人は高校1年生に進学した途端、原付バイクの免許を取得し自転車ではちょっと面倒な場所へスイスイ行けるようになりそれが羨ましかった。

その免許が取得できる運転試験場が病院の前(当時)!!
こんな好立地に病院があるので、4月末骨髄移植の説明を受けた後、本屋に寄り問題集を購入し、退院したらバイクでエンジョイ!海でも行こうかな〜。そんなことを考えて入院。

抗がん剤、放射線治療の時と比べたら半ば治ったかと錯覚するくらい体調が良く「移植に挑む」という方向性は同じでしたがまだまだ医師(まる先生)と患者(私)の危機感といいますか意識の差が天と地ほどありました。

第38話 心構え

どうせ辛いんだから
187心構え
188転院
189チーム
190そろそろ
ふりかえってみて

「前に受けた治療程度と思わないで」と言われたことできっと骨髄移植は辛いんだろうなぁ〜と漠然と想像した。ならば自ら発する言葉を浴びて更に辛さを重ねないために

「否定系の言葉を使わない!」

と紙に書き、気合いを入れてゴールデンウィーク明け入院。

3月まで入院していた大学病院のように医師の出入りが多くなくピリッとした空気が漂い病棟は怖いくらい静か。担当のみずさん、当時新人で担当を任された最初の患者が私だったことは30年後に知りました。

入院して数日間、寡黙なまる先生の様子を伺いながら本格的な治療に入り、具合が悪くなる前に外出許可をお願いします。

第37話 最後の晩餐

しなくていいです
あのね
理由なんてこんなこと
最後の晩餐
無職
ふりかえってみて

無菌室で90日過ごす、そんな根性ないし退学しなくて済む治療ならいいかなと少しばかり望みを持っているためそれも難しいと分かる。

そして兄がドナー!
幼少のころから兄が嫌い。その兄の骨髄液を移植って体内に入るの?!ムリムリ!もう無理の境地であった。

病院では昨年から骨髄移植が始まりまだ数人しか例がなく、その移植でしか助からないという状態なのに深刻さに気が付かず「受けなくていいです!」とキッパリ言い切ってしまった。

その時、「3ヶ月に1度入退院を繰り返していたら髪が生えてきてもまた抜けちゃう、その繰り返しだよ。骨髄移植で治ったらもう髪抜けることないんだよ。」のたった1言で「受けます!」とコロッと心変わり。主治医のまる先生は告知をして共に移植に挑みたいと両親に話したけれど両親はそれを拒否。親心なのでしょう。

たとえ「血液がん」と知らなくても「血液が作れなくなる病気」と聞けば身体中を巡る血液が作れないって危険かもと、、と思う事なくゴールデンウィークを過ごし、すみさん、ひとくん、しいちゃん達に手紙を書きます。看護学生さんだったくにちゃんは無事国家資格に合格し看護師として働き始めます。この頃は新聞に合格者の名前が掲載されていました。