虹色

看護師さんは処置を手伝いながら手を握ってくれる。

本当なら説明なんて要らないくらいなことかもしれないけれど、こぐま先生は、ひとつひとつ説明しながら進めてくれる。

最初の入院先の病院で受けたルンバールの痙攣後の頭痛は今回の頭痛より辛かったと記憶している。16歳という年齢と治らない痙攣の怖さもあるのかもしれないが。

30年以上前の病室は今のようにカーテンで個室のように過ごすのではなく、検査や排泄、体拭き以外は開けっぱなしだったので、家族よりも長い時間を共有している同室のおばさん、おばあさんが寝たきりの自分を見守ってくれた。

白血病で入院して1ケ月、抗がん剤で髪が抜けている最中で枕元に抜けた髪の毛が付く量が増えていくのがわかる。坊主にするから院内の床屋さん呼んでもらい、ベッド上で丸坊主にした。

その時も「可愛い」と皆が褒めてくれた。骨髄移植のため転院しても手紙のやりとりが続き、退院後「また手紙書きます」という「またね」がどんどん減っていき、これが当時の成人の血液がんの現状だったのかもしれない。

現在でも、がん再発の知人から「パワーもらっています」というLINEに「パワーなんていくらでも持っていって」と返事をし、その半月後に亡くなった。

小児がんの2次性がんになった同世代の友人からは亡くなる前に全てを託すと言わて引き受けてしまった。

「弱い、、、」管を抜くだけでこんなにビビっている。坊主のなった頃の隣のベッドのおばあさんから「私のお葬式には来なくていいから、その代わり私が死んだら、、」という約束は5年後ちゃんと果たしたけれど、果たす事のできない「またね」という約束と何でこんな弱い自分に託したのかと咽(むせ)び泣く。

処置が痛くて泣いている訳ではないとこぐま先生と看護師さんに伝えた。
管を抜く時も、縫う時も痛みはなかった。